
私達の歴史認識では、広島と長崎にアメリカ軍によって
原爆が投下されて終戦したと思われている。
きっと皆さんの頭の中では次のように考えていることでしょう。

B‐29が空から飛んできて原爆を落とした。

広島にはリトルボーイという原子爆弾が落とされた。

長崎にはファットマンという原子爆弾が落とされた。
このように考えている人達が大半ではないでしょうか?
しかし、これはデッチ上げられた作り話なのです。
実は、原子爆弾というものは、日本人が開発し、
日本人の手によって地上で爆破されたのであります。
あなたの歴史認識では到底受け入れられない
かもしれませんが、これが事実なのです。
それでは、次をご覧下さい。


これらのアメリカの新聞には「日本が原始爆弾を開発した」
と記事にしています。
しかも、下のニューヨークタイムスには
「初の原始爆弾が日本により開発された」と書かれています。
しかし、あなたは「ドイツやアメリカならまだしも、
日本が原爆を最初に開発出来るワケがない!」
と高を括っているかもしれません。
それでは更に次をご覧下さい。



写真は当時世界一の戦闘機と戦艦です。
これらは、ゼロ戦・大和・武蔵なのです。
どこの国の戦闘機・戦艦なのかと言うと、
勿論日本であります。
つまりは、当時の技術力ナンバー1の国は日本なのです。
ですから、日本がどの国よりも早く原子爆弾を開発しても、
それは当然なことなのです。
また、なぜ広島と長崎が原爆の被害を受けたのか?
という点です。
ではなぜ?広島と長崎であったのか?
ということについて説明します。

写真は戦艦大和と戦艦武蔵です。
この大和と武蔵に原爆開発が関係しているのです。
答えを先に言うと、大和の製造場所が広島(呉)
武蔵の製造場所が長崎(佐世保)となるからなのです。

写真は大和を建造した呉海軍工廠(くれかいぐんこうしょう)
です。
戦前に秘密裏に製造していた巨大戦艦大和
の製造場所です。
機密事項であるがゆえに、外部に対しては
その存在を隠す手段が用いられていました。
戦艦の周囲には漁具に使用される棕櫚(しゅろ)というものを
利用したすだれ状の目隠しが前面に張り巡らされました。
ドックには屋根を半分架け、
戦艦の長さがわからないようにしました。
また、ドックを見下ろせる山では
憲兵が警備にあたっていました。
そして、建造に携わる者には
厳しい身の上調査が行われていました。

写真は佐世保海軍工廠(させぼかいぐんこうしょう)ですが、
ここで戦艦武蔵は建造されます。
武蔵も大和同様、秘密裏に建造されますが、
大和とおなじようにその存在が隠蔽されました。
ところでですが、この大和と武蔵は
隠蔽する対象としてはダミーだったのです。
本当は、もっと隠したいことがあったのです。
ではそれは何か?というと、
本来の隠蔽対象は原子爆弾開発なのです。
実は、ここで原爆が開発されていたのです。
現代社会ではコンプライアンスというものが当たり前であり、
企業秘密を外部に漏らしてはいけないことは
社会人であれば誰でも知っています。
しかし、戦前の日本においては、コンプライアンスという概念
がありませんから、家族や友人にうっかり機密事項を
しゃべってしまうこともあるのです。
ですから、各国スパイに
「広島(呉)と長崎(佐世保)は何だか怪しい!」
と思われても、その実態が巨大戦艦建造であると
煙幕を張りたかったのであります。
原子爆弾開発を隠蔽したかったのです。
そして原爆は現地製造、現地爆破したのです。
初期の原爆は、ちょっとした振動でも爆破する危険性があった
ので、車や飛行機で気軽に運搬できるはずがないのです。
原子爆弾は核融合によって爆発するので、
いつ爆発するのか読めないのです。
ましてや、人類初めての原爆が
広島市の上空600メートルとか、500メートルで
都合よく爆発してくれることは奇跡に近いのです。

このように考えると、広島市や長崎市の現地で
原爆を組み立て、遠隔操作にて地上爆破したと
考えるのが自然なのであります。
つまりは、アメリカは原爆を投下していないのです。
これが真実で、本当の日本の歴史なのです。
『光軍の戦士』